珍事件。そして、今のあたし。

大親友の気配で起きる。幸せ。
夜中は寄り添って眠った。ベッドで寝てる場合じゃないし。


朝起きてびっくり。竜一郎がいない!ケージの扉が開いてて、中にいなくて。
ちょっとパニック。
2階に上がれるわけがないし、トイレに落ちるわけがないんだけど、慌てた。
Kが手伝ってくれて、懐中電灯も動員して捜索。


「竜ちゃーん。」って呼んでも返事するわけがない。
しかもこの2代目くんは、運動バカだから賢くない。一人で戻ってこられるわけがないから、なおさら心配した。


しばらくして、最後に冷蔵庫の下を覗き込んだら・・・視界の隅に何やら。
「いたー!」と歓喜
一番手前にいたから、数回呼びかけたら出てきた。良かった!


用心のために、扉に鍵をかけることにした。


急いでKを駅まで送る。別れ際にハグ。
あたしもがんばらなきゃ。自転車をこぐにも力が入る。
ちゃんとつながってるから、大丈夫。


これからマドレーヌを焼いて、ケーキを仕上げる。
部屋も片付けなきゃ。



生クリームを作り、マドレーヌを焼きながら、ケーキを仕上げた。
生クリーム、塗ってるときにも固まらずに、上出来。
お昼を食べたり、掃除をしたり。忙しかった。


14時出発で、埼玉へ。家の近くでピンクのバラとピンクのガーベラ、それにカスミソウも入った花束を買って向かう。
着いてしばらくは母、叔母、祖母とおしゃべり。みんなで元気になる。


祖母がいなければ、あたしは存在し得なかったわけで。
この人の遺伝子があたしの中に入ってるんだなぁ、しかも同じときにこうして同じところで生きて、同じ空気を吸っているんだなぁと思うと、今更ながら不思議で、感動を覚えた。


夕飯は、大叔父、祖母、父、母、叔母と食べに行った。
席の関係でお父さんとしか一緒のテーブルじゃなかったけれど、楽しんだ。


戻ってから、母の従兄弟と、奥さんも呼んで、みんなでお誕生日会。
大叔父と祖母の誕生日を一緒に祝った。ケーキは好評。
スポンジをもっと上手く作れればいいと思った。


写真を撮ったり、おしゃべりをして盛り上がった。
途中で、母の従兄弟のHさんに付いていって、デジカメのプリントをしてるところを見せてもらった。


写真の色の調整などをしていて。
色がハッキリすればいいっていうだけじゃない。
クリアなのは好きだけれど、大叔父と祖母の柔らかい空気の感じを出すには、色や輪郭がハッキリしすぎていない方が良かったり。
人生も同じかもしれない。望むものが手に入らなかったりすることだって、良いことなのかもしれないと。
手に入らないが故の、強い想い。悲しみを乗り越えたときの、精神の成長。
一つの方向をあまりに明確に定めすぎて、それ以外の良さがわからなくなってた。
ハッキリだけがいいんじゃないよ。柔らかいのがいいときだってあるんだ。


Hさんの仕事部屋らしきその部屋には、いい感じの家具もいっぱいあったけれど、何より、壁にあった絵に、ヴァイオリンが描かれていたのに目が留まった。2枚ともにヴァイオリン。
特に左の絵が気になった。全体的に青の絵。
見ているうちに、バックに描かれているのが、ソファーベッドと家具に見えてきて、4年前の記憶を誘うように思えてきた。愛し合っていた時間を思い出した。「思い出した」というより、「湧いてきた」という感じ。
哀しさもあったけれど、心に滲みてきた。


その絵を帰ってからも眺めたくて、その一瞬をおさめて過去の記憶と共に止めてしまいたい衝動に駆られて、母の従兄弟にその写真をCD-Rに追加してくれるか頼んでみた。
彼は、写真を撮って、CD-Rに追加で焼いてくれた上に、印刷もしてくれた。手元に2枚。
額のガラスのせいで、こっちの物まで反射して写りこんでしまったその写真は、オリジナルより面白いと、彼の奥さんのK子さんが見て言った。


そう、オリジナルの絵より、それを撮った写真の方が面白いことだってある。
彼女の言葉は、あたしにあたしを気づかせた。
あたしは、とにかくそういう場合、オリジナルを完璧と位置づけて、その100%に近い写真なり画集なりが欲しくなるけれど、写真というものを違う使い方をしてみたら、そして求めるものを変えてみたりしてみれば、偶然が重なった故にできた、オリジナルとはズレた感じでも、いいものだってあるのだ。そして、それがむしろ自分的にパーフェクトになり得たりするのかもしれないと。


あたしの4年間はそういう時間だったのかもしれない。
実際の恋愛自体にもそのときしか無い良さはあったんだろうけど、その後の4年間があって4年前の恋愛を引きずることで、きっとたくさんの出会いがあったし、たくさんのいい友達を持つことができた。
痛みは常にあったけれど、得たものだって、きっとあった。
オリジナルであった時間だったり、Jだったり、ずっと求めてやまなかったあたしだけど、ずっと求め続けてきたあたしだれど、今のあたしはきっとそのオリジナルをガラス隔ててこちらから撮った写真みたいなのよね。光が反射して、こちら側のものや、まったく関係の無いものが写りこんでいたり。


そういう意味で、その写真は、今のあたしそのものでもあるんだと思う。
それはそれなりに味があって、それはそれなりにパーフェクト。
「それ」としては、100%なのだと、気づいた。