入院と退院。

なんか結局入院してきた。一泊二日だけど。
快適。暇。看護婦さんやらお医者さんやら、すぐ飛んでくるし。
あたしの担当医及び看護婦さんは、非常にあたしと相性が合う人達で、楽しかった。コントみたいだった。
特に担当医。なんで戦闘シーン見ただけで、ドラクエⅣだってわかってるんだよ(笑)


ちなみに、あたしがかかってるらしいウィルスは、風邪のウィルスよりも感染力弱いらしい。何故かかったのか、謎。
しかも、みんな知らない間にかかってるらしい。子供の頃なら気づかないうちに抗体ができるけど、大人になってかかると大変なんだとさ。麻疹とか、水疱瘡みたいなものかなぁと思った。


病室は4人部屋で、あたしの前が、白内障の手術を終えたばかりで一日5回点眼が必要な、眼帯を付けてるおばちゃん、斜め前が、白血球が少なくて帰れないおばさんだった。
一番重症だったのは、隣のおばあちゃん。クモ膜下出血経験者で、今回は胃癌で入院してるらしい。アメリカでボランティアしたりしてる人みたいで、治ったらまたボランティアするんだそうな。それを聞きながら、いろいろ考えてしまった。


昨日あたしが退院するときに、おばあちゃんも2人部屋に引越しすることになって、看護婦さんが何人か来て、引越し作業をしてた。
それまで、病院って、こんな呼吸を助ける機械みたいなのまで病棟に付いてるのねーって感心してたんだけど、それは全部おばあちゃんの治療のためだったことがそこで初めてわかった。
ずっとカーテンがかかってるからお互い見えなかったけど、引越しのときにちょっとのぞいてみたら、すごい量の医療器具。カテーテルが3本くらい箱に入ったままだったり、薬の大きい瓶があったり。ベッドの横には大きなゴミ袋。
正直、驚いた。それが無いと生きていられないおばあちゃん。ときどきしんどそうな音が聞こえたりしてて。


夜中に、あたしが空調のせいで喉とか気管支の調子が悪くなってきたので、看護婦さんが加湿器代わりに装置を持ってきてくれた。その装置が曲者で、何かあるとすぐビービー鳴るものだった。
明け方、「ビーーーー」って鳴り始めたとき、あたしはまさかその加湿器が鳴ってるとは思わなくて、病院内でなんかあったのかなぁくらいにしか思ってなかった。寝ぼけてたのもあったけど。
そしたら、隣のおばあちゃんがあたしのところのカーテンを開けて覗いてきたから、加湿器が鳴ってるってわかって、慌てて止めようと思ったけど止まらなくて、初めてナースコール。
看護婦さんは極めて落ち着いてたけど、隣の病室の患者さんまで起こしちゃったみたいで、申し訳なかった。


おばあちゃんの娘さんが姉妹交代でおばあちゃんのお世話をしに来ているみたいだったけど、二人ともあっけらかんとした感じだった。実際、沈んでるわけにいかないしね。
ドラマとかで癌って大騒ぎするけれど、現実は坦々と生きていくしかないのよね。それにしても、おばあちゃん、すごいと思った。治ったら、またボランティアしたいって思ってることも。
ろれつが回ってないから、看護婦さんがしゃべってることしか聞こえないくらいなんだけど、あたしもこれくらいでピーピー言っていられないなぁって思った。



今だから思うことなのかもしれないけれど、死にたいなんて言っていられるのってまだ健康なんだってこと。贅沢なんだってこと。
実際病に倒れたら、そんな風に死にたいとは思えない。
死にたいって思うことが一番辛いって思ってたかもしれないけれど、病に体を蝕まれて、もう前のように健康体に戻れないまま生きていく、生きていくしか選択肢が無くなったときの苦しみ、痛み。あたしだって、今の自分の状態のまま一生過ごさなければならないってなったら、絶望してしまいそうだもの。


でも、どうしてそこまでして生きているのか。あたしが不治の病だったら、どうするのか。
結局、健康で生きられないって思っても投げ捨てないで、できるだけの治療をして生きているのかな。痛みが酷かったり、治療法が無かったら、安楽死させてもらいたい気もする。
もう散歩したり、観覧車に乗ったり、旅行したり、いろんなことができなくなっちゃうのだから。そう思うと、何の為に苦しい思いをしてまで生きながらえるんだろうって。
周りの人と、お互いに会いたかったり、まだ話をしていたいから、まだしばらくは頑張って生きていようって思うかもしれない。
でももし、そんな風に思える人もいなかったなら、何を楽しみに、何をしたくて生きているだろうか。


健康なまま事故死したり、苦しむ間も無く病死したり、老衰したり、そういう方が、本人にとってその瞬間は楽なのかな。思い残すことが多いかもしれないし、周りの人も、その人に伝えたいこと、してあげたいことが残ってしまったとしても。


今ふと思い出した。
りんちゃんが、大阪をドライブしていたときにあたしに言った。自殺した人は天国に行けないって。生きること自体が「修行」なのに、自殺するってことはそれを放棄しているわけだから、天国に行けないと。
あたしは、なんだか、それもかわいそうだなぁって思いながら聞いてた。


本当にどう生きればいいのか、どう生きるべきか、自分にとって有意義であったり、幸せっていうのは何なのか、最近前より本当に考えるようになったと思う。
まだまだだけど。