好きと言われて困惑。

学校が始まって変な生活になっちゃってるけど、なかなか面白いかも。


今度歌う歌のCDを必死に探してたんだけど、今日S山先生が探してくださった。シューベルトの歌曲のリストに全部目を通して。
おまけに録音して帰れるようにと、新しいカセットテープをくれて、コンポまで貸してくださった。もー大好き。至れり尽くせり。練習する気倍増。


火曜日のレッスンのときに、去年あったことを初めて話せた。1時間半、いろんな話をした。先生は、哲学者の言葉を送りたかったらしく、12月から考えてたみたい。素敵。
親との関係とか、自立とか、結婚とか。それこそいろいろ話す。俊ちゃんに、「東京に来て働くから一緒になろう。」まで言わせたなら、なんでもう一歩が踏み出せなかったのって言われ、本当にそうだなって思っていたのが更に明確になった気がした。


選択を間違ったって思っても、もう取り返しがつかないことで、これで良かったんだって思えるように生きなければいけないとは思いながらもうまくいかず、苦しい。
自分の気持ちは違うところにあったのに、ちゃんと選べなかった、最後に踏み切れなかったのはどうしてかっていうことを考えに考えて、結局俊ちゃんにすべてを預けきれなかったからだっていう結論に一応達して、自分が悪いと思ってた。でも、先生から見える景色を覗いてみると、親の影響が多大すぎることが見えてきて。元々暴力を受けていなかったなら、あんな風に怯えていなかっただろうし、俊ちゃんを逃がさなきゃって焦ることもなかったかもしれない。
親には、騙されたっていう気持ちでいっぱいで。本当に後悔した。
それでも自分で選んだんだから、自分で引き起こしたことだから、自分で最終的にはあの紙にサインをしたんだから、自分がいけないんだと思っていた。後悔してもしきれない。何が不満だったの?何が足りなかったの?って。


行く手を阻まれたりする環境を変えるのはまだ少し時間がかかるし、深い傷を負ってしまっていることに関しては、根が深くて大変だと先生は言った。そう簡単に癒えるものじゃないし、片付くものではないと。
自分の子供への連鎖も恐い。それを止めてくれる、包み込んでくれると過信してしまいそうな「頼りすぎ」も恐い。


この間、夜中に帰ろうとしたら、家に帰りたいけど帰れずに、駒沢公園の前に車を停めて眠ったり。外気温4度は寒い。父親が会社へ向かったと思えるまでは帰れなかった。帰ったのは朝7時半。疲れた。
やっぱり間違っていた。騙されていたとしか思えない。ともかく「間違い」だったということが、そういう選択をしてしまったことが重くて、車の中でわんわん泣いた。朝の光が酷かった。


間違いは間違いだと受け入れるしかない。どれだけ取り返しがつかなくても、どれだけどうしようもないことでも。
間違いじゃない結末を創るために無理をしてた。でも、悲しいけれど間違いだった。考えると悲しすぎる。でも、これがあたしの気持ちの真実だなって思うから。そこを認めることから始めるしかない。
そうして額の中に納めて、過去にしていくということ。


反省なんて考えたらいくらだって出てくるだろう。責めたらいくらだって責めることができるだろう。
親から受けた精神的な暴力。それも暴力のうちに入れなさいって。
信用したくてもしてはいけないんだわ。騙されちゃいけない。
そうやっていつも身構えて武装していなきゃいけないこと自体、苦しいし、本当は哀しい。